戒めのカレー

ジェンダー/セクシュアリティと教育研究者の のうきよう によるブログ

図書紹介:宮本常一・安渓遊地『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』(みずのわ出版、2008)

 

一言で言うなら、質的調査をする人にとって必携の一冊であると思う。

本書を執筆したのは、安渓遊地(あんけい/ゆうじ)さんという人類学者である。彼は自身のホームページに自己を「変な教員」[i]と記している。私自身、直接お会いしたことはないが、HPにある「眠る学生との戦いの武器として授業中にオカリナを吹き、座席がある限りすべての授業を地域の方々やもぐりの学生たちのために開放している」点、特に学びの場を「開放している」点や、いわゆる「学者」的振る舞いをしない点が「変な教員」なのであろう[ii]

 

宮本常一さんの第1章「調査地被害」はもちろん、安渓さんの第2章「される側の声――聞き書き・調査地被害」と第7章「「研究成果の還元」はどこまで可能か」のこの3つは、是非読んだほうが良いと思う。それは、いかなる質的調査であっても、である。

以下、「ネタバレ」は避けつつも、個人的に胸を撃ち抜かれたワード。

 

調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い。

宮本常一「第1章 調査地被害―される側のさまざまな迷惑」p.34

 

こんなふうに、調査の弊害というのは、ただ「持ち出された」というだけじゃない。知らないうちに蝕まれたものが、私たちの心のなかにできているわけよ。

安渓遊地「第2章 される側の声――聞き書き・調査地被害」p.45

 

「種をまくことは誰にでもできる。大変なのは草取りと収穫。そして一番難しいのは、耕されて荒れた土をもとに戻すこと。」

安渓遊地「第4章 フィールドでの「濃いかかわり」とその落とし穴」p.87

 

「研究成果の還元」という言葉には、する側がされる側から得た多くの物のいち部を返すという意味合いがどうしても感じられる。調査する、される、以外の関係の上に人類学を作っていかなければならない、という意見に深く共鳴する。研究という営為が、する側とされる側の一体となった活動を意味し、「研究成果の還元」という言葉が死語になる時代がこなければならない。それこそが、人間を研究対象とする野外諸科学の再生への道のひとつであるという予感がするのである。

安渓遊地「第7章 「研究成果の還元」はどこまで可能か」p.111

 

もちろん、調査する前にも読んだほうが良いと思うのだが、調査をしてみてから読んだほうが、ぐさっと突き刺さるワードが並んでいるのではないかとおもう。

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

 

[i] 安渓遊地HP http://ankei.jp/yuji/(最終アクセス:2018年3月3日)

[ii] わたしの周りには、このような「変な教員」――学問の権威性について疑問を呈し、また、呈するだけでなく、実際に変えようと実践する教員――が多くいるため、「変」が「フツー」になってしまっていることに、改めて気付かされた。