戒めのカレー

ジェンダー/セクシュアリティと教育研究者の のうきよう によるブログ

【雑感】春を感じる

 

春を感じますね。とくに、花粉によって。あと、浮足立った人がたくさん街にあふれているのによって。

 

今年は例年に比べても桜の開花が早かったみたいで、それにあわせて散るのも早いみたい。北海道にいたときは、桜なんて5月の連休まで見られなかったから(しかも、住んでる地域にはあまり咲いていなかったし)、何もありがたくないんですよね。

テレビで、お花見に関わる日本の経済効果が…なんて話していても、北海道は日本じゃないんだろうなあなんて思っていたくらいで。

そんな私、柄にもないのですが、夜桜見物してきました。しかも、千鳥ヶ淵で。

 


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写真、いかがですか?これ、ほとんど加工してません。偶然が重なって、ボートがうまく決まってますよね。

でも、個人的に、桜は写真で見たほうがきれいなんだろうなあと思いました。ピンク(あるいは白)と青のバランスで桜がはえるかどうか決まると思うのですが、目で見るよりもカメラをとおしてのほうが青がきれいに見える気がするんですよね、完全に気のせいだと思うのですが。

あとは、浮足立った人がたくさん集まる場所が自分には向かないのだと思います。生では桜に集中できない。写真だと、見事に「トリミング」できてしまうから、桜に集中できるんだと思います。

 


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ちなみに、個人的には桜よりも梅が好きです。梅は写真じゃなくてなまで見るに限ると思います。見る、というか、感じる、というか。梅の鼻で感じる感じが好きです。

 

【雑感】「小さく産んで大きく育てる」

 

高度プロフェッショナル制度(ワタミの「暴言」でもちょっととりあげられた)をちゃんと学んでおかないとなあと思い、今更ながら裁量労働制の勉強。

POSSEの代表をつとめている今野晴貴さんが執筆者のひとりということもあって、手にとって見たけれど、なるほどわかりやすい一冊。以前サラッと目を通したことのあるこの本でも目にした嶋崎量(ちから)さんの第2章がわかりやすい。

 

ブラック企業のない社会へ――教育・福祉・医療・企業にできること (岩波ブックレット)

ブラック企業のない社会へ――教育・福祉・医療・企業にできること (岩波ブックレット)

 

 

 

 

高プロ〔高度プロフェッショナル制度のこと〕を単純化すると、高年収などの要件をクリアする一定の対象者に対して、現行制度上のあらゆる労働時間規制を取り払う制度だ。実態的な制度(本人同意などの手続き部分を除く)を大まかに分けると、(ⅰ)適用対象者を設定して、(ⅱ)適用対象者に対して生じる効果を定め、(ⅲ)その場合の健康確保措置を設ける、という三本柱だ。

 まず、この(ⅰ)適用対象者は、平均年収の三倍の額を相当程度上回る水準であり、具体的には1075万円以上とされている。年収1000万円以上の対象者の問題だから、「それだけ貰ってたら残業代なんて求めるなよ」とか「私には関係ない」(=他人事)というのが、多くの方の素朴な感想であろう。しかし、この「高プロ制度」がいったん作られてしまえば、既に制度の枠組みが作られている以上、基準引き下げを行うのは現実には容易で、狙いは「小さく産んで大きく育てる」ことで足りる(当面、この制度による効果は求めない)点にあると言えよう。実際、この制度導入を目指して法案提出をした塩崎恭久厚生労働大臣(当時)は、2015年4月に日本経済研究センターにおいて、経済界から適用対象者が高年収者に限られているという不満が出されているのに対して、「それはちょっとぐっと我慢していただいてですね、またとりあえず通すことだといって、合意をしてくれると大変ありがたい」(ブラック企業被害対策弁護団ホームページより)と述べている。                pp.31-32 

 

 

どの法案も、「小さく産んで大きく育てる」ってことはしてきたんだろうけど、なんか、ほんとそれで良いんだろうかと思ったわけで。いわゆる「特例法」も、まずは作ることが大事、ってのはいろいろなところで聞いたけれど、やってることはこれと一緒なのかなあとも思ったりして。(一緒にするなといわれてしまいそうだけれど)

 

法案を通すってののモヤっと感を読みながらいま一度感じたのでした。

【雑感】20180310−0322

気がついたら、もう桜の季節。流石に昨日は寒かったけれど、明日以降はばっちりお花見シーズンになるのでしょう。

 

私は数年前から、2月から3月にかけて、あとは、別件で4月から5月(の一週目頃)まで調子が悪くなります。調子が悪いというと大袈裟な感じがしますが、こころがザワザワしたり、疲れやすかったり、そんな感じが続く時期なのです。

つい最近までは、なぜ調子が悪くなるのか言語化できなかったのですが、ザワザワするのがトラウマの一種なのだということを『トラウマ』(宮地尚子岩波書店、2013)で読み、言葉が与えられたことによって安心した感じではあります。安心してからは、治そう!とか、ザワザワする自分、だめ!とはならなくなりましたし、そんな自分とも共生していこうとも思えるようになりました。これもまた、学びのせいか、学びの成果なのか。

*

本や映画はつくり手が汗水流して(あとは、費用もかかって。場合によっては、一生をかけて)作られているもので、それを数百円か数千円で享受できるのはすげーこと!

というようなことをこの間ツイッターで見て、ああ、そうだなあと思い、積ん読状態にあった本を少しずつ読んでいます。読みながら、書いて、書きながら、読む。キリも果てしもないように感じていますが、「春休み」だからできることなのかもしれない、と思いながら腰を据えています。「春休み」、あっという間に過ぎてしまい、ザワザワにザワザワを重ねていますが、そんなザワザワとも共生したいです。

 *

いろいろあって、ここ最近、新書と岩波ブックレットを読み漁っています。今日読み切ったのは以下の二冊。

 

 

家庭教育は誰のもの?――家庭教育支援法はなぜ問題か (岩波ブックレット)

家庭教育は誰のもの?――家庭教育支援法はなぜ問題か (岩波ブックレット)

 

 

単純に「家族の話でしょ」と切り捨てず、教育基本法「改正」(第一次安倍内閣)との関わりで考えないとならないよなあとこの本からも思わされました。「三歳児神話」や「母性神話」の話も書いてあるし、「親学」批判も書いてあって、ジェンダーセクシュアリティと教育をまなぶ導入にも使用できそうだと思いました。教育学、社会学、法学と、広い分野の研究者で考えていかないとならない問題なのだよなあと思いながら、自分がどれくらい動けているのかと思うと、全然考えられてないなあと。これもまたザワザワします。いろいろとこの間論稿が出てきているから、改めて読み直さないとと思いました。

 

〈愛国心〉に気をつけろ! (岩波ブックレット)

〈愛国心〉に気をつけろ! (岩波ブックレット)

 

鈴木邦男さんの本は今回初めて読んだのですが、面白く読めました。教育観やジェンダー観にかんしては???と思うところもあったのですが、社会運動観であったり、〈愛国心〉(鈴木さんは山カッコ付きの〈愛国心〉とカギカッコ付きの「愛国心」を分けて使っている)に関する事はなるほどなあと思いました。どのような「改憲」なのか、というのは(今更ながらですが)参考になることが多々書かれていたと思います。とくに、鈴木さんの「右翼」的社会運動経験で得られたことは、いわゆる「左翼」的社会運動にも同様なことが言えるだろうなあと思いました。

*

高橋哲哉さんの『教育と国家』は、そういう意味で木村・鈴木論考の架け橋になる一冊になるのではないか、と思いました。

 

教育と国家 (講談社現代新書)

教育と国家 (講談社現代新書)

 

どの本も、身のまわりにあるけれど、なかなか考えない問題を扱っていて、これが数百円で読めるのだから、読まなきゃ損だなあと思った次第です。数時間あれば一冊読めちゃいそうな分かりやすいまとめ方がされていますので、手にとってみてください。

図書紹介:橋本紀子ら編著『教科書にみる世界の性教育』(かもがわ出版、2018)

 

 

先日発売されたばかりの『教科書にみる世界の性教育』(橋本紀子ら編著、2018、かもがわ出版)を読了。来年度から、早速講義に使おうと思った一冊。

 

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書評を掲載していただきました。

 

雑誌『人間と教育』97に書評を載せてもらいました。学部時代から読んでいた雑誌に原稿を掲載してもらえるのはどのような形であれうれしいです。

冒頭インタビューで、高橋源一郎さんが「教育とか文化って"叔父さん"なんです」と言うタイトルであーあーな事言ってますが、全体を通して面白い論考が多いと思いました。

個人的には勝野正章さんの「教職の『非専門職化』と『脱』非専門職化」を面白く読みました。学部生と一緒に読んでみたいなーと思うくらいわかりやすく新自由主義と雇用の問題がまとめられていると思います。

 

 

季刊人間と教育 97号 特集:学校があぶない!?新自由主義教育のもとでの子どもと教師
 

 

個人的には、次号の特集1が「焦点としての家族」ということらしいので、そこに期待したいと思います。

図書紹介:宮地尚子『震災トラウマと復興ストレス』(岩波書店、2011)

 

これまで複数回実践させてもらった「性の多様性」実践をきちんとまとめようと思い、今一度色々な文献を読みあさっています。

自分の実践でも使うのは、岩川ありささんが書かれた次の文章なのですが、

 

 CiNii 論文 -  ようこそ、この教室へ : 異性愛主義と性別二元論を超えて (特集 性の多様性と学校教育)

 

この文献に出ていた「度し難いまでの無知/度し難いまでの有知」とおっしゃってるという宮地尚子さんってどんな人なのだろう?と思い、最近になって宮地さんが書かれた本を買いあさってみました。

 

震災トラウマと復興ストレス (岩波ブックレット)

震災トラウマと復興ストレス (岩波ブックレット)

 

このブックレットと、岩波赤の『トラウマ』、そして、この二冊にも出てくる「環状島」理論を提起してる『環状島』を買ってみました。

 

厚さが薄い順に読もうと思い、ブックレットを読んだのですが、一言では表せない複雑な感情をいだきました。ひさびさにこの感覚に出会えたかもしれないとワクワクしてます。

このワクワク感とモヤモヤ感をひもときながら、自分の研究に向き合ったら、これまで書きまとめられなかったところも、少し解決するかもと思いました。

そして、ワクワク感と同時に、宮地さんの論稿をすでに読まれた岩川ありささんのご研究がものすごく気になりました。

こんなすごく面白い本に、どうやったら巡りあえるんだろうかと思いつつ、自分が出会った面白い本を自分の研究にちゃんと活かしていけたらいいなあと思ったのでした。

(図書紹介というより、感想、というか、読みながらはせた思いの吐露になってしまった。)

図書紹介:宮本常一・安渓遊地『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』(みずのわ出版、2008)

 

一言で言うなら、質的調査をする人にとって必携の一冊であると思う。

本書を執筆したのは、安渓遊地(あんけい/ゆうじ)さんという人類学者である。彼は自身のホームページに自己を「変な教員」[i]と記している。私自身、直接お会いしたことはないが、HPにある「眠る学生との戦いの武器として授業中にオカリナを吹き、座席がある限りすべての授業を地域の方々やもぐりの学生たちのために開放している」点、特に学びの場を「開放している」点や、いわゆる「学者」的振る舞いをしない点が「変な教員」なのであろう[ii]

 

宮本常一さんの第1章「調査地被害」はもちろん、安渓さんの第2章「される側の声――聞き書き・調査地被害」と第7章「「研究成果の還元」はどこまで可能か」のこの3つは、是非読んだほうが良いと思う。それは、いかなる質的調査であっても、である。

以下、「ネタバレ」は避けつつも、個人的に胸を撃ち抜かれたワード。

 

調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い。

宮本常一「第1章 調査地被害―される側のさまざまな迷惑」p.34

 

こんなふうに、調査の弊害というのは、ただ「持ち出された」というだけじゃない。知らないうちに蝕まれたものが、私たちの心のなかにできているわけよ。

安渓遊地「第2章 される側の声――聞き書き・調査地被害」p.45

 

「種をまくことは誰にでもできる。大変なのは草取りと収穫。そして一番難しいのは、耕されて荒れた土をもとに戻すこと。」

安渓遊地「第4章 フィールドでの「濃いかかわり」とその落とし穴」p.87

 

「研究成果の還元」という言葉には、する側がされる側から得た多くの物のいち部を返すという意味合いがどうしても感じられる。調査する、される、以外の関係の上に人類学を作っていかなければならない、という意見に深く共鳴する。研究という営為が、する側とされる側の一体となった活動を意味し、「研究成果の還元」という言葉が死語になる時代がこなければならない。それこそが、人間を研究対象とする野外諸科学の再生への道のひとつであるという予感がするのである。

安渓遊地「第7章 「研究成果の還元」はどこまで可能か」p.111

 

もちろん、調査する前にも読んだほうが良いと思うのだが、調査をしてみてから読んだほうが、ぐさっと突き刺さるワードが並んでいるのではないかとおもう。

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

 

[i] 安渓遊地HP http://ankei.jp/yuji/(最終アクセス:2018年3月3日)

[ii] わたしの周りには、このような「変な教員」――学問の権威性について疑問を呈し、また、呈するだけでなく、実際に変えようと実践する教員――が多くいるため、「変」が「フツー」になってしまっていることに、改めて気付かされた。

【教育実践】「“フツー”という境界線を引きなおす実践づくり―大学における「性の多様性」の視点を加えたフェミニズム教育実践―」

 

本稿は、わたしがこれまで書いてきた論稿の中で、自分自身の関わった教育実践をまとめたものになっています。これを読んでいただければ、のうきの課題意識が少しわかるかと思います。

 

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「戒めのカレー」

話例1

「なんか今日は悪いことあったんだって?」

『いやあ、やらかしちゃって』

「あら、それは反省しなきゃね」

『はい、だから今晩は「戒めのカレー」ですよ』

 

話例2

「なんか今日は良いことあったんだって?」

『はい、思った以上にうまくいって!』

「お、それはお祝いだね」

『いやいや、こんな時こそ「戒めのカレー」ですよ』

 

 

 

 

どちらも陳腐な例だと自分でも思う。

ただ、これでわかるとおり、私にとって所謂「臥薪嘗胆」だろうが「勝って兜の緒を締めよ」だろうが、どこかフツーじゃないときは「戒めのカレー」を食べるのである。

 

私にとって、カレーライスは一、二を争うほど苦手な食べ物である。カレー味やインドカレー、タイカレー、キーマカレーは好きなのだが、あの、ドロっとした、所謂カレーライスが苦手だ(スープカレーイデオロギー的に嫌いだ)。

そんな苦手なものを敢えて口にしようと思うのは、大きく下手こいたときと、最近調子に乗ってるなというとき、ここらで足もとすくわれそうだなというときである。 

そんな「戒めのカレー」をブログのタイトルにしたのは、このブログ自体が自分にとって「戒め」になるかもしれないと思ったためである。

 

いまし・める [4] 【戒める・誡▼める・警▽める】
( 動マ下一 ) [文] マ下二 いまし・む

禁を犯したり、失敗したりすることのないように、前もって注意を与える。 「殺生を-・める」 「浪費を-・める」

同じ過失を繰り返さないように、過失を犯したことをしかる。とがめる。 《戒》 「無断欠勤を-・める」

警戒する。 「御心安き兵を以て非常を-・めらるべし/太平記 12」

(「縛める」と書く)ひもなどでしばる。 「あらゆる制約に-・められてゐる人間/竹沢先生と云ふ人 善郎」

忌むべきこととして嫌う。 「人の-・むる五月は去ぬ/宇津保 藤原君」

罰する。こらしめる。 「この猫、我国の庭鳥を食ひ殺し候程に、さてこそ-・めて候へ/仮名草子・伊曽保物語」

 

https://www.weblio.jp/content/%E6%88%92%E3%82%81%E3%82%8B

 

 

これらの意味だと、①か②にあてはまるだろうか。大それたことな感じがするけれど、前もって注意すること、もし何か起こしてしまったら同じ過ちを繰り返さないこと、そのためにも、私には「戒めのカレー」が必要なのかもしれない、と現時点では思っている。

いわゆる逆「験担ぎ」メニューと言ってもいいかもしれない。これは、自分が自分に頼むとことが重要なのであって、周りに、「きょうはお前はカレー食っとけ」と言われたいものではないのだ。験を担ぐか担がないかは、ワタシが決める。というわけで。

 

なので、もし、あなたの前で私がカツカレー大盛り、なんて頼んでるときは、相当何かやらかした(またはやらかすと自覚してる)ときなのだとお察しいただきたいし、ああ、この人はいま自分と向き合っているんだ、と思ってもらえると嬉しい。

そんな、自分と向き合う場にこのブログをつくっていきたいと思ったため、このタイトルにした。